- Profile
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- パラアスリート 本堂 杏実
- ほんどう・あんみ 1997年、埼玉県出身。(株)コーセー所属。生まれつき左手の指がない「先天性左手指欠損」だが、健常児に交じって4歳でラグビーを始める。高校3年生のときに関東選抜メンバーで出場した国際大会で優勝、18歳以下の日本選抜にも選ばれた。日本体育大学在学中の2016年に運動能力や精神力を評価され、パラリンピック競技にスカウトされて、パラアルペンスキーに転向。2018年平昌パラリンピック、2022年北京パラリンピックに出場。北京大会では女子回転(立位)6位など、出場した5種目全てで入賞した。
ときに時速100キロを超えるスピードで斜面を滑り降りるパラアルペンスキー。パラリンピック選手の本堂杏実さんは、19歳のときに競技を始めました。それまではラグビー選手として活躍、子供のころは男子と肩を並べて試合をしていたといいます。本堂さんには生まれつき左手の指がないという障害がありますが、「自分が障害者とは意識せず育った」といいます。本堂さんに、障害についての考え方や、海外など多様な価値観の中で生きることについて、語ってもらいました。
何でも工夫して挑戦、「『普通の子』として育てられた」
――生まれつき左手の指がないという障害とともに、どんな子供時代を過ごしましたか。
自分に障害があるということを意識せず育ってきました。両親が私のことを、障害者も健常者も関係なく、「普通の子」として育てたんです。
たとえば両手の指がある子に比べると私は靴ひもを結ぶのに時間がかかりましたが、母親はできるまで待ってくれました。何でも自分で工夫してみて、「これができなかった、じゃあこうやってみよう」というのを繰り返してできるようになっていきました。
母親も私が(障害がある状態で)生まれてショックだったと思うんですけれど、私を見て「思ったよりこの子できるな」と思っていたかもしれませんね(笑)。
私は指はないけれど手首はあるので、ラグビーも手首のスナップをうまくきかせてパスをしていました。学年が上がるにつれてレベルも上がり、遠くに投げなければいけなくなりましたが、家でひたすら練習したり、投げ方を工夫したりしていました。
――ラグビーは中学生まで男子チームでプレーしていましたね。ご自身は女子で、性差は感じましたか。
中学1年生の頃の私の身長は138㎝だったので、もちろん体格の差は感じていました。
でも、ラグビーってヘッドキャップかぶっちゃえば相手が女性だってわからないんです。私は「ラグビーはタックルできる人が一番カッコイイ」と思っていたので、身長が自分より30センチ、40センチ高い選手が目の前に飛び込んできたらタックルで倒していました。ヘッドキャップを取った私を見て「え、女だったの!?」と相手が驚くこともありました。
成長するにつれ体格差が本当に大きくなってきて、自然と女子ラグビーがメインになっていきました。
19歳でパラスポーツへ 自分にもあった障害への先入観
――大学生のときにスカウトされ、2016年、健常者とプレーしていたラグビーから、パラアルペンスキーの世界に飛び込んだそうですね。当時はどんな心境でしたか。
「ラグビーに対して未練はあったのか?」と聞かれると、最初は少しありました。でも、平昌パラリンピックの約1年前だったし、やるからには本気でやりたかったので、そのことをラグビーの同期たちに話して「行ってこい」と背中を押してもらいました。
2016年10月の海外遠征で初めて、さまざまな障害のあるパラ選手たちと出会いました。(パラアルペンスキー金メダリストの)鈴木猛史選手からは「初めまして!『足なしタケシ』です」ってあいさつされてビックリしました。私も自分の障害を気にせず生きてきましたが、周りの選手たちもそんな感じなんだ!って。
義足の選手や車いすの選手……いろいろな選手と出会って一緒にレースをして障害をものともしない爽快な滑りをみて、そこで初めて「このなかで世界一になりたい、金メダル取りたい」と思いました。
――パラアスリートたちと接して、見える世界も変わりましたか。
私と同じように自分の障害を気にしていない人がたくさんいるんだなとわかりました。それから、障害がある方に対して私自身も「何かできないんだったら手伝ってあげなきゃ」と考えていた部分があるとわかりました。
遠征で同部屋だった村岡桃佳選手に「何かできないことあったら言ってね」と言ったところ、「何でもできるから大丈夫だよ」と返されて。私自身も障害者だけど、ほかの障害者の方に対して「できないことがある」という決めつけ、偏見があったなと。勘違いしていた部分があったなと思いました。
もちろん、高い所の物が取れないとかはあると思うのですが、たいていのことはみんな工夫して、何でもできるんだなって。
――海外遠征などで、言葉や文化の違いに対して工夫していることはありますか。
ヘッドコーチがイタリア人なのですが、英語は「しゃべれるけどちょっと苦手」と言っているんですね。私もそんなに英語は話せないのですが、ジェスチャーを使うなどうまくコミュニケーションをとるようにしています。
海外の選手はノリと勢いで会話していて(笑)、日本の人は「しゃべれなければ(一切)しゃべらない」という感じの人が多いですが、私はなるべく知っている英語を絞り出して、間違ってでもいいから会話するようにしています。
睡眠にこだわり 日焼け止めは冬でも大事!
――海外などでの体調管理はどうしていますか。
海外遠征に行くと睡眠の質がどうしても悪くなります。私は大学院で睡眠の研究をしていましたが、データなどを取っていくと、遠征後半になるにつれ疲労の回復度が悪くなっていくんですね。やはり睡眠が大事なのだと思います。私の場合は遠征に自分が普段使っている枕とぬいぐるみを持っていって、睡眠の質を高めています。そうすることで、いつもと違う環境の中でも良いパフォーマンスができるように心掛けています。
――ほかにもからだのケアで大切にしていることは?
以前は冬は日焼け止めを塗っていなかったのですが、化粧品会社に入社して、夏だけでなく冬や雪山でも紫外線が降り注いでいて日焼けをすることを学びました。今は季節関係なく毎日、日焼け止めを塗るなど、紫外線対策をしています。
男性の先輩選手にも日焼け対策の大切さを熱弁しています(笑)。「杏実が使っているから」と日焼け止めや化粧水を使ってくれるようになって、すごくうれしいなと感じています。
自分らしく生きる ありのまま生きる
――海外の選手や違う文化と接して得たものはありますか?
私、自分の足が太くてお尻が大きいことを前は気にしていて。体形を隠す服ばかり着ていたのですが、海外の選手から「君の足がカッコイイ」って言われてから、「私はこのままでいいんだ」と思えるようになったんです。日本にいても普通にデニムパンツをはけるようになりました。
誰かのためにファッションを考えたり、お化粧をしたりしているわけじゃない。全て自分のためにやっているものなので、ありのままでいい、自分は自分でいていいんだよというのは、若い子たちに伝えたいなって思います。自分が好きなことをしてほしいです。
――ポジティブシンキングは競技にも良い影響を与えそうですね。
競技に関してはすごくネガティブです。やっぱりパラアルペンスキーを始めたのが遅かったので、「自分は下手くそだ」という思いがあって……。周りの方たちからは「上手になっているよ」って言っていただけるのですが。
だから今シーズンの禁止ワードは「できない」です! 「できない」じゃなくて、「伸びしろがある」と、ネガティブな言葉からポジティブな言葉に換えています。
そうしていけばきっとパラリンピックでメダルが取れるんじゃないかと。メダル、本当に取りたいです。